インスタント超意識

こうして今、一緒にいられるのは、本当に素晴らしいことです。なぜなら、私たちは永遠に続く「今」の中にいるのですから……。それを感じてください。超意識の中へより深く入っていくと、過去はなく、未来もなく、永遠なる「今」があるだけです。それを感じてください。

ある非常に優れた哲学者は……私が最も称賛している地球上の哲学者の一人ですが……こう言いました。「思考とは常に古いものだ」と。

エロヒムの教えは、私たちを超意識へと導きますが、それは思考とはまったく異なるものです。ダメージを受けた脳が原因で、こう考えてしまう人がいます。「ああ、私は考えているから意識がある。だったら、もっと考えれば超意識に到達できるだろう」と。そうではありません。難しいことですが、思考は一切不要なのです。

その逆であるべきです。本来なら、考えることのほうがずっと難しいはずです。しかし誰もが、「難しいのだから、もっと考えなければならない」という幻想を抱えています。普通に考えれば『意識』がもたらされ、もっと考えれば『超意識』がもたらされる、というわけです。それは大変でなければならない、難しくなければならないと……。これは、「努力しなければならない」「一生懸命やらなければならない」という、私たちが受けてきた教育の結果です。真実は、その逆なのです。

だから聖書には、天国は「愚かな人々」、つまり『無の王たち』のものである、と書かれているのです。何も考えないでいようと思っても、それはできません。なぜなら、すでに思考しているからです。ですから『無』の中に在ることは、とても難しいのです。本当に難しいです。なぜなら、何も考えないでいようと思った時点で、すでに思考しているからです。

それが瞑想の本質です。私はいつも、ハピネス・アカデミーへ初めて来た人たちに、なぜ来たのかを尋ねます。すると彼らは、「瞑想の仕方を学びたいからです」と答えます。その気持は分かります。でも、「そうしたい」と思えば、できません。「私は瞑想がしたい。よし、特別な部屋を用意しよう。照明を整えて、美しいポスターも飾ろう。そして、深呼吸をするんだ……ただ呼吸するためではなく、瞑想するために」 そんな風に瞑想したいと望んだ時点で、もう瞑想することはできません。ただ、そう在るか、そうでないか、それだけなのです。

仏陀に向けられた「あなたは何者ですか?」という問いに対して、彼は「われ在り(I am)」と答えました。皆さんは在りますか?(Are you?)[聴衆:I am]そうです! これは、「私は在りたい(I want to be)」と言う初心者とは正反対の境地です。在りたいと思うなら、それは、まだ在っていないということです。瞑想したいと思うなら、瞑想することはできません。それは、まったく努力しないということです……それどころか、意図さえ持たないということです。「今はまだ未熟だが、時が経てば瞑想が上手になるだろう」などと考えてはいけません。チベットの僧院で20年を過ごそうが、(空に輝く)月で20年を過ごそうが……時間は何も変えてはくれません。

インスタント・ラーメンやインスタント・コーヒーがあるように、「インスタント・ブッダ」というものもあります。考えるのをやめればいいのです。ただし、「考えるのをやめようよう」と考えてはいけません。なぜなら、そう考えた時点で、すでに思考しているからです。ですから、ただそう在るか、そうでないか、それだけです。これは、とても奥深いことです。まさに今、この瞬間です。あなたは、瞬時に超意識となるのです。

超意識の次元では、もしあなたが超意識の中にいるなら、ヤーウェはあなたより優れているわけではありません。超意識は絶対的であり、瞬時であり、永遠です。皆さん一人ひとりが、ただちにブッダになることができます。問題は、ブッダであり続けることです。そう在ること自体はとても簡単です……私の話を聞いて、「分かった、われ在り、われ在り」と言う。しかし、ゆっくりと機械が再び動き始め、そしてあなたは自分にこう問いかけるのです……「私は在るのだろうか?(am I?)」と。問いを立てるということは、思考するということです。ですから、自分が在るかどうかを自問するのではなく、それを感じてください。

ここにあるこの機械(脳)は、本来、超意識から命令を受け取るようになっています。思考で動くのでしょうか? それとも超意識で動くのでしょうか? 本来は、自然にできるはずなのです。誰かと出会うときも、考えて反応するのではなく、自然に、ありのままに接するのです。脳は、ただ情報を処理するための機械にすぎません。

今では、人々は人工知能を恐れています。でも、(頭を指さしながら)これこそが人工知能なのです。あなたの脳も人工知能にほかなりません。過去を処理するためだけの機械です。それは100%過去です。未来について考えるときでさえ、あなたの未来像は過去についての知識に基づいています。あなたは過去を使って想像をつくり出します。過去からの情報を使って、未来について考えるのです。では、『今』はどこにあるのでしょう? そこに『今』はありません。そこに『今』が存在しないのなら、あなたはただ『今』の中にいるということです。「われ在り」と言うまでもなく、すでに在るのです。なぜなら、もし「われ在り(I am)」と言えば……それは美しいことですが……そこには「私(I)」が含まれます。これはエゴです。「われ在り」……ちょっと待ってください。そう言葉にすることなく、自分は在るのです。もし、自分は何者なのかと考えれば、あなたは思考していることになります。一方、在るということは、思考が一切ない状態をいいます。ゼロです。無の王(Nothing-king)です。情報の処理もなければ、過去の痕跡さえ微塵もない……それこそが、絶え間なく続く『今』であり、永遠の『今』です。

誰もが永遠であることを夢見ていますが、あなたは実際に永遠なのです。『今』の中にいるとき、あなたは空間と時間における『無限』とつながった状態にあります。

あなたの身体、そして『脳』というこの素晴らしい機械……それらは機械です。美しい機械です。それを感じてください。それらは絶えず変化しています。「われ在り」と言うとき、あなたは昨日のあなたではありません。これもまた、「何ものも永続しない」という仏陀の教えの一つです。無限を除けば、永続するものは何ひとつありません。無限と永遠は永続します。しかし、この二つを除けば、すべては変化しています。友人たちが変わり、年を重ねていくのが見えます。山々が変化していくのも見えます。オーストラリアは毎年8センチメートルずつ北西へ移動しています。毎年8センチメートルです。北極も移動しています。宇宙のあらゆるものが動いています。安定しているものは何もありません。

つい最近まで、あなたは7歳の小さな男の子、小さな女の子でした。私たちは皆、7歳だったのです。でも、もう違います。変化しています。このひげも、以前は茶色でした。毎日、毎秒、一秒一秒、変化しています。

私たちの血液の中には、赤血球があります。全身に酸素を運ぶ細胞です。これが安定した、変わることのない液体だと思いますか? 私たちの身体は毎秒230万個の新しい赤血球をつくっています。今この瞬間にも、毎秒230万個です。あなたの血液でさえ、絶えず変化しているのです。すべては変わります。大陸も、山も、川も、海も、気温も……何ひとつ永続しません。

しかし人間は、この安定という幻想を好みます。

最近もお話ししましたが、夜に星を眺めるとき、その星は、あなたが見ている場所にはありません。太陽からここまで、光の振動が届くまでに8分かかります。ですから、あなたには太陽がここに見えていますが、実際にはそこにあるのです。私たちの感覚は、このような幻想を処理しているわけです。日の出の時にはそれがよくわかりますが、私はこれまで何度も説明してきました。

私は、雷雨やその時の雷鳴が大好きです。私がまだ幼い少年だった頃、祖母は、雷がどこに落ちたのかを計算する方法を教えてくれました。雷雨がどれくらい離れているのかを知りたければ、音が毎秒300メートルの速さで進むことを知っておく必要があります。稲妻のあとに雷鳴……原始的な時代の人々は「神の音」だと考えていましたが……それが聞こえてくるとき、その音は落雷した場所から毎秒300メートルの速さで進んできたということです。ですから祖母は、稲妻が光ってからその音が聞こえるまでの秒数を数えるよう教えてくれました。音が届くまでに3秒かかったなら、雷は900メートル離れたところで起きたということです。そして、あなたがその現象を「今起きている」と思って見ているその瞬間も、実際には正確ではありません。それは、すでに少し前に起きたことです。なぜなら、光の振動があなたの目に届くまでにも、ある程度の時間がかかるからです。視覚の幻想、聴覚の幻想……何が現実なのでしょう? 何もありません! それでも私たちは、それをある一定のやり方で測っているのです。

私は、ある一流の天体物理学者の動画を見ていたのですが、その人はこう言っていました。「もし私たちに十分に強力な観測機器があれば、何百万年も前に放たれた星の光を見ることができるでしょう」と。なぜなら、光の振動が届くまでには一定の時間がかかるからです。私がFacebookに投稿した動画があり、ハピネス・アカデミーの冒頭でお見せする予定ですが、その動画では、今や一流の科学者たちが、宇宙は無限でなければならないと考え始めていることが示されています。彼らはようやく目を覚まし始めたのです。「無限でなければならない」と言い始めています。とても面白いことです。空間には、そもそも測りきれるような限界などないと気づくまでに、彼らはこれほど長い時間を要したのです。宇宙はこれくらいの大きさに見え、数年後にはもっと大きく見えるようになります。それは宇宙そのものが変わったわけではありません。私たちが、以前よりも遠くまで見通せるようになっただけなのです。

でも、ここには何もないと……ちょっと待ってください! そうなると、どんな子供の頭でもこう考えるでしょう……「宇宙がここまでだというなら、じゃあ、その外には何があるの?」と。ごく基本的な思考です。何かがある場所と、何もない場所……私は、人間の脳は少し病んでいるのではないかと思います。

ある日、ラエリアンの一人がこう言いました。「無限に小さいものを探究するとき、彼らは最も小さな粒子を見つけようとする」と。だから彼らは、それを「原子」と呼んだのです。ギリシャ語で「atomos:それ以上分けることのできないもの」という意味です。ですが、それは実に愚かなことです。ほんのわずかな知性さえあれば、こう言えるはずです……「ちょっと待てよ、何もないところから何かが生まれるなんてあり得るの? そんなことは不可能だ」と。すべてのものは、何かからできています。そこで彼らは、より強力な観測機器を使い、原子の内部に粒子を見つけました。「ああ! 我々は恐らく最小のものを見つけた。おめでとう! これより小さいものはない。電子、陽子、中性子……ああ、これで終わりだ」と。ところが数年後、別の科学者が言いました。「ちょっと待ってください。その中には、もっと小さな粒子があります」と。しかし、科学の基本原則の一つ……何ものも『無』からつくられることはない……に気づくのに必要なのは、ほんのわずかな知性だけなのです。何ものも『無』からつくられることはありません。存在するすべてのものは、時間においても空間においても、別の何かからできています。「何もなかった。そこにビッグバンが起きた。そして、そのビッグバンは何もないものからできていた」……時空という枠組みの中で、相変わらず愚かな思考が繰り返されています。

そして私たちは、エロヒムのおかげで『無限』を感じることができます。時間においても、空間においても、『無限』を感じることができます。そして、それに気づいたとき、もう笑うしかありません。本当に面白いことです。私たちは永遠なる物質からできています。私のこの小さな身体の中には、無限の数の銀河が含まれています。私だけではありません……ここにいる皆さん一人ひとりもそうです。あなたは永遠そのものです。過去においても、未来においても、あなたは永遠です。あなたの身体をつくっているものは、何ひとつ消滅することはあり得ません。それらが必ずしも一つにまとまったままでいるわけではありませんが、ずっと存在してきましたし、これからも永遠に存在し続けます。

数か月前にもお話ししましたが、あなたの身体の中には、かつてナポレオンやチンギス・ハンの身体の中にあった粒子があります。また、星々を眺めるとき、どの星についても、その星からやって来た粒子があなたの身体の中にある、ともお話ししました。私たちは『星の塵』なのです。そして私たちが死んだあと、それらの粒子は、どこかの星へと戻っていくかもしれません。ですから、たとえば月を眺めるときには、あなたの身体の一部が、かつて月からやって来たものだということになります。そして、あなたが死んだあと、その一部は再び月へ戻っていくことでしょう。

この一体感……ここで強調したいのは、「考えること」ではなく、「感じること」です。なぜなら、それを理解することはできないからです。誰にも理解することはできません。でも、感じることならできます。瞑想するとき、つまり考えないとき……それについて思考を巡らせることなく、感じてください。そして、無限を本当に感じたなら、笑いや微笑みがこみ上げてきて止まらなくなるでしょう。そうです、宇宙は壮大な笑いなのです! 至るところ、どこにでも、笑う理由があります。もっとも、それは理屈としての理由ではなく、ただそう感じられるというものです。

昨日、道を歩いていると、そこを小さなカタツムリが横切っていました。そこは車がたくさん通る場所だと知っていたので、私はその小さなカタツムリを拾い上げて、草むらに置いてあげました。なぜでしょう? 私はその小さなカタツムリの中に、エロヒムによって創造された最初のカタツムリの姿を見たのです。そのカタツムリにも親がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて……それをずっと辿っていけば、最初のカタツムリに行き着きます。カタツムリにも、アダムとイブがいるのです。そして、そのつながりが見えてくると、一体感を感じます。ゴキブリを怖がることなどできません。ゴキブリを怖がる女の子はとても多いですが、最初のゴキブリも、エロヒムによって創造されたのです。ワォ、それをどうして踏みつぶせるでしょう? 私は家の中でゴキブリを見つけたら、外に出してあげます。なぜ、エロヒムによって創造されたものを殺すのでしょう? 何千世代ものゴキブリがつながり、この一匹に至っているのです。

では、こうした、ゴキブリを外に出してあげたり、カタツムリを道の向こう側まで運んであげたりする行為とは、何なのでしょうか? 愛です! それは愛なのです。

超意識とは愛です。いつも覚えておいてください。超意識とは目で捉えることができるものなのです。愛を目にするとき、そこに超意識を見ることができます。

思考する脳が戦争を生み出します。「お前は自分とは違う」「お前は敵だ」「私はお前より優れている」「私は選ばれた民族だ」「お前たちは動物ですらない」 ……イスラエルはパレスチナ人に対して、まさにそのように考えています。それは超意識と正反対のものです。超意識とは愛なのです。

彼らは『約束の地』について語りますが、それはある特定の国を指すのではありません。『約束の地』とは地球そのものなのです。中国にいる人々も、ヨーロッパにいる人々も、どこにいる人々も……私たちは一つなのです。思考する頭脳ではそれを理解することができなくとも、超意識によって感じ取ることはできます。

ですから、愛を注ぐことを決してやめないでください。愛を注ぐことは、無限と愛を交わすことなのです。

一緒にそれをやりましょう。

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ラエル氏が1973年にUFOと遭遇した際、私たちに伝えるようにと彼らが託したメッセージがここに!

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